雑記帳




長い1週間


ひどい一週間だった。人生で最低最悪の一週間だった。

15日土曜日 疑惑
 12日水曜日のドッジ練習から、膝が痛いというナベムス1号を 接骨院へ通わせたが、痛みがおさまらない。 骨にひびでもはいっているのか?腫れてはいないが、 念のため係りつけの整形外科へ行った。 X線で診てもらい、安心しようと思っていたが、 先生が思いもかけないことを言い出した。
「骨折はありません、剥離骨折もありませんが、骨の病気の疑い があります」
骨の病気? 病気って?
「小児の場合、膝から色々な疾患がみつかることがあります。 X線に不鮮明な輪郭があるので、念のため MRI検査を受けましょう。 白血病なども見つかることがあります。何もないってわかれば 良いことですし、いかがしょう?」
まさかとは思ったが、不安はなるべく早く払拭したい。 一番早い予約を入れ、総合病院でMRI検査を受けることになった。 今までも、確立の低い病気を引き当てるナベムス1号だったから、 私は不安だった。胸騒ぎを抑えつつ週末を過ごした。



17日月曜日 MRI検査
 私が、あまりにも不安がるので、  ナベダーは半休をとってMRI検査に付き合ってくれた。 30分くらいの検査と聞いていたのに、倍近い時間がかかった。
「随分、時間がかかってるな」ナベダーのその言葉にズキンとした。
大丈夫、きっと動いたりしてやり直しているんだわ。
ざわざわする心を抑えるのに精一杯だった。
手渡されたMRIの写真は封印されていなかった。 封をしないのは、きっとノーマル像だからなんだ。 不穏な気持ちのまま、検査結果を待った。


18日火曜日 最悪の検査結果
 検査結果を聞きに行く日だった。 今日もナベダーが半休をとり、駐車場で待機する。 診察室には私1人で入った。 先生が静かに話し出した。
「所見があります、こことここに・・・白血病などの可能性を否定したいので 今すぐ、お子さんを連れて血液検査をしませんか?午後にはわかりますから」
何を言っているのかはわかった。
とんでもない話をしているのもわかった。
そんな中、おそるおそる聞いた。「骨肉腫などの疑いもあるのでしょうか?」 「骨肉腫の可能性はなくなりました。でも腫瘍の疑いはあります。 ひとつひとつ可能性を消していくしかありません」
雲の上を歩くような、ふわーっとした足取りで 「とにかく、血液検査にすぐに連れてきます」 と駐車場へ出て行った。 車中で手短に話しすぐに学校へ行った。
 教室のドアを開ける前に気持ちを切り替える。 笑顔を作る、そして精一杯の嘘をつく 「ごめんごめん、先生が検査し忘れたから、ちょっと注射しなきゃならないって。 今すぐ、病院へ行かなきゃならなくなっちゃった。」 ナベムス一号は授業中呼び出されて血液検査をすることに 何も疑いもしなかった。
 採血を終わらせ、再び学校へ1号を戻し、私達は帰宅した。 お昼ごはんなど、食べる気力もなかった。 ナベダーは午後の仕事もサボった。 夫婦でなんともいえない時間を過ごした。 悪性だったらどうしよう? 白血病なんだろうか?骨の病気なんだろうか? 私達にそんなことがおきるはずはない。 父が亡くなった時よりも重く暗い時間だった。 胸は張り裂けそうだった。私なら良かったのに。 一体、どんな病気の可能性があるというのか? たまらずパソコンへかじりつく。 白血病の予後はどのくらい? 骨髄移植に備えて、お酒をやめてさらさらの血液にしておかないとならないね。 骨髄穿刺は痛いから、検査するの可哀想だね。 白血病じゃなくて骨の病気ならどうなんだろう? 骨肉腫がないっていってたけれど、他にどんな病気があるの? ユーイング肉腫が小児に多いって、予後が悪いよ。 どこをみてもいい話は載っていない。 なんでこんなことになっちゃうんだろう?
頭の中に色々な可能性が順不同で交差し、 ぐちゃぐちゃだった。 どうしていいかわからなかった。 座っても寝ても落ち着かず、 部屋の中をウロウロ歩き回っていた。
 ナベムス達がプールに行っている間、血液検査の結果を聞きに行った。
「白血病の可能性は消えました、でも病変があります。 骨原発の腫瘍の可能性です。良性か悪性かは細胞診をしなければわかりません ので、大学付属病院へ行って下さい。 整形外科の腫瘍外来が木曜にありますのでそこで診察を受けてください」
「腫瘍の可能性はどのくらいあるのでしょう?」
「60%・・・70%以上は腫瘍の可能性でしょう。」
「悪性の可能性はどのくらいなんでしょうか?」
「それは細胞診をしないとわかりませんから。 とにかく良性であればそれでいいのだから 所見が有る以上、診察を受けて診断をもらってください」
もし悪性だったら・・・? 先生が指摘した像の輪郭は不鮮明で浸潤しているような広がりがあった。 良性なら輪郭は鮮明なはずである。
 いい材料なんてなかった。救われるのは骨肉腫ではなく白血病でもないってこと。


19日水曜日 BBSのリンクを外した日
 なんとかナベムス達とナベダーを送り出し、寝込む。 洗濯をし寝込む。掃除をし寝込む。 ナベムス1号は死んじゃうんだろうか・・・ とてつもない不安があった。打ち消しても打ち消しても 浮かぶ言いようのない不安。 何か重たいものに体が押しつぶされ胸が張り裂けそうだった。 何かを食べなくてはと、口に運ぶものの 一口食べると吐く始末。 私のことなら良かったのに・・・ こんなことが起きるなんて・・・
 まだ気力があるうちにBBSを閉じておこうと思った。 極めて悪性の疑いとなれば 明日、結果がでるだろう。 良性でも手術、リハビリと忙しい日々が待っているだろう。 細胞診の結果を待つことになっても、この不安な気持ちのまま 数週間を過ごさねばならない。 友人、知人、小学校の保護者関係者もこのHPを 知っているので、理由を言わぬまま 閉じるがしかたあるまい。
 洗濯物をたたみながら、1号のパンツを手にとった。 「パンツをたためない日がきたらどうしよう?」 と考えてしまう。いや、そんなことあるもんか! 不安を消し去り消し去り何とか前を向こうと頑張る。 やがて、「ただいまー」と帰宅する1号の声を聞き 気持ちを立て直す。子どもの笑顔を見て、少し心が落ち着く。 それでも、この「ただいまー」が聞きたくても聞けない日がきたら ・・・と不安の波はひいては寄せ、寄せてはひく。  子どもの前では、何事もなかったように過ごす。 だけど、ナベダーが1号の後姿をそっと目で追うのをみながら気持ちは一緒だった。 「失いたくない」
 頭に最悪の状況が浮かぶたび、吹き消すように 何かをし、最良の方向を考える。無理に考える。 ナベムス1号が寝た後、パソコンに向かい、良性病変を探しまくる。 私の見た画像と似た良性病変の症例を探す。 段々、気持ちが上を向いてきた。 繊維腫、これなら境界不鮮明で良性。 大丈夫、大丈夫、絶対良性、わが子を失うことなんてありえない。
 うちの子は大丈夫。 何の根拠もない確信だけれど、思い続けることで 段々、そんな気持ちになってきた。 うちの子は大丈夫。


20日木曜日 コルチカルデスモイド
 朝、起きてきたナベダーが 「昨夜3時まで眠れなかった。 良い方向へのシミュレーションをして 今日は穏やかな気持ちだよ」 大学付属病院へ行った。 不思議と、縁がある病院には思えなかった。
 問診が始まったが検査はX線だけだった。 今日はMRIの予約を入れて帰り、検査後に来て 生検の予約をいれ、細胞診で2〜3週間かかり、 結果がでるには1カ月くらいかかるのだろうか? 治療はそれからになるのだろうか?大学付属病院だから 時間がかかるのは覚悟しているが、 もっとサクサク診てくれればいいのに・・・と思った。
 X線の結果を持って私とナベムス1号が診察室に入る。 何を言われるのか心臓はドッキンドッキンしていた。 先生は、X線とMRIの写真を交互にじっと見ている。 看護婦に指示をだす。
「持ち込みのMRIの写真をコピーして」
え?珍しいの? 何の病気?
私の心臓はもうバックバック、倒れそうだ。
「あのね、お母さん、骨の色が変わっただけですよ」
骨の色がかわるって?
「筋肉の緊張が骨に伝わって骨の疲労がみえますね」
あの、骨腫瘍の可能性は?
「低いです」
ほっとする。 すっごくほっとする。シュルシュルーと音をたてて 緊張した体が元に戻っていく。 病名ではないが現象名を告げられる。 「コルチカル デスモイド」  骨不整像であり、病的意義は無いが 骨腫瘍との判別が難しいのだそうだ。 自然治癒するので、3週後の外来で完治を確認するまでは 運動が禁止となった。実に最良の結果だった。 診察室から出た私は、周囲に気配りをすることも忘れ 廊下で待っていたナベダーに「大丈夫だった」と 喜んでしまった。 今思えば、周りに居た人々の中には、 うなだれている人もいたというのに・・・


 昼食はステーキが食べたいという1号を連れ、 ステーキ専門店で3人で美味しいランチを食べた。 「こんな高いの頼んでいいの?」と 家計を心配する1号に、手術しなくて済んだんだからいいのよ、 だけど特別な日だけよ、と笑いかける。 「こんな美味しいステーキ食べたことないよ」と 嬉しそうにステーキをほおばる一号の笑顔を見る幸せ、何よりだった。
 今日も、家族のパンツをたためる幸せ、 家族の「ただいま」に「おかえり」とこたえる幸せ、 家族が普通に帰宅する一日、一日が こんなにも愛おしいものだとは思わなかった。 これからも家族は4人。


 11月10日 運動禁止が解け、長い3週間が終わった。 そしてナベムス1号は26日のジュニア大会へむけ練習を始めた。



2005/11/10