雑記帳




夢の世界


「死んじゃったね。おじいちゃんは夢の世界へ行っちゃったんだね」
息子が大好きだったおじいちゃんが、病気の為、この秋に亡くなった。

 春に身体の不調を訴え、検査入院の結果、癌が判明した。化学療法の合間に一時退院できることになり、 夏休みに一家揃って帰省した。十日ほど一緒に過ごし家に戻った数日後に、予想もしない一報がはいった。 脳梗塞を併発し危篤状態とのこと。信じられない。病気とはいえ、ついほんのこの前に皆で食事をし、 会話をかわし笑っていたのに・・・・。突然のことに、夫婦共に狼狽を隠す事ができず、 息子でさえもただならぬものを感じた様であった。妙にふざけたり、気をひこうとしたりこちらの様子を 伺っているみたいだった。
「危篤」そして人間の「死」 子供にとっては接したことがない場面である。 どう説明すべきか考え話した。病気で目が覚めないこと、いつ覚めるのかわからないこと、ずっと覚めないかもしれないこと。 すると、”ふうーん”というような複雑な顔をしてぽつりと言った。
「はやく めが さめるといいな」
それから時々息子は聞いた。
「おじいちゃん め さめたかな?」
また幾日かして聞いてきた
「おじいちゃん、まだ目が さめないの・・・・? 長い夢をみているんだね。きっと、すごーく楽しい夢なんだよ。 だから目がさめないんじゃない?」
 北海道から雪の便りが聞こえ始めた頃、おじいちゃんの容態が急変したので、かけつけた。息子にとって 「夢」の世界にいるおじいちゃん。未だ意識が戻ってないことは、4歳なりに理解しているようであった。
「おじいちゃんにおはようと言って起こしてあげるんだ!」
そう言って病室へ駆け込んだ。そして、意識の戻らぬおじいちゃんに呼びかけていた。
「おじいちゃん早く起きてよ。一緒に遊ぼうよ」
しかし、おじいちゃんは夢から目覚めることなく、帰らぬ人となった。

 お葬式。死んだ人が夢の世界へ出発するための、お別れの日。
「おじいちゃんに、もう会えないの?」息子は、悲しく諦めた表情をしていた。人は死んでも、残された人々の 想い出や胸の中に生きつづけると教えた。
「そうか、ぼくの夢の中で会えるんだね。また夢の中で会えるんだね」
 出棺の時、白い花がこれほどまで綺麗なものだったか・・・そう思いながら、 花を入れて泣きじゃくる息子の身体をきつく抱きしめた。 「死んじゃったね。おじいちゃんは夢の世界へ行っちゃたんだね」

 四歳の子供にとって、人の死をどれだけ理解できたのかわからない。しかし、大切な人がいなくなる悲しみ、 残された人々の無念さ、やりきれなさを小さな体いっぱいで感じたことと思う。
息子の大好きなおじいちゃん、これからも夢の世界から、孫の成長を見守っていてくださいね。

長男の幼稚園のPTAが発行するしおりに載せたものです。 テーマが「私の夢」でした。
平成13年3月発行52号より

もう、小学生になりましたよ、、おじいちゃんへ捧ぐ




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2003/04/21